ある財の輸出競争力を示す指標として多用されているものである。最近ドイ・モイ政策の実施によって国際経済社会に復帰してきたベトナムが、この分野での輸出競争力を急激に増大させていることが示されている。これに対し、経済停滞に悩むフィリピンでこの分野でも輸出競争力が急激に低下していることも示されている。アセアン諸国内では、タイが強い国際競争力をまだ保持していること、ならびにマレーシア、インドネシアで国内食糧生産への努力が加えられることで、国際競争力の低下といった事態になっていないことが示されている。
ところで、高度経済成長を続けてきたアセアン諸国に関して、国内総生産にしめる農業の比重の低下にくらべて就業構造の転換がおくれている事実に注目しておく必要がある。アセアン諸国で、国内総生産にしめる農業のシェアが20%以下に低下しているのに対して、農業就業者が総就業者にしめるシェアはマレーシアを除いて未だ50%程度となっているのである(表1)。
ひとつの事例として、タイのケースをみてみよう。生産構造面では、1980年代はじめに製造業と農業とが国内総生産にしめるシェアで20%強の水準でクロスする転換を経験している。その後も農業のシェアは低下を続け1993年には10%にまで低下しているのに対して、製造業のシェアは上昇を続け1993年には30%弱の水準に達している。この転換にくらべて、労働力の産業間再配分は相当におくれており、1993年で農業シェアは58%であるのに対して製造業のシェアは13%でしかない。生産面で農業と製造業のシェアがほぼ等しくなった1980年代はじめをみてみると、その時点で農業就業者のシェアは60%強でありまた製造業シェアは10%程度であった。
生産面での構造変化に就業構造の転換がおくれてくることは、農業と工業ないし製造業との間の就業者1人当りの生産性格差が拡大していくことを意味している。再びタイに関して、1980年代はじめに生産面で農業と製造業のシェアが等しくなった時点でみると、農業就業者6人と製造業就業者1人とが同じだけの生産をしていたことになる。農業と製造業の間で労働生産性は1対6となっていた。さらに1993年時点で同じ計算をしてみると、1対11という格差となり、1980年代以降の経済成長過程で農業と製造業の間で労働生産性の格差が拡大し続けてきたことがわかる。アジアのその他の諸国でもタイと全く同様に経済成長のなかで農業と工業ないし製造業との間で労働
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